購入編よりの続き。
レティナの持つ意味
すでに BLOG の記事や、報道などで散々出てると思うけど、今回はCPUは小幅な強化。メモリは倍増。グラフィックスは強化。本体サイズは少し厚みが増えただけで、重量は微増。
しかし、もっともおおきな変更は、やはり解像度が2倍になったことだろう。
これはCPUが倍になったとかいうのとちがって、即座に凄いとかいう感じではない。というかもともとアップルはスペック公表しないし。
でもこの高精細の液晶は、かなり影響あると思う。
私は電子書籍界隈の周辺部に生息しているんで、これは非常におおきいと思ってる。
しかし、そうでない人にとっても、ただ画面を見ただけで、この差はわかる。
解像度が倍になったから、フォントを小さくして、より見せる情報をおおくする、みたいなものじゃない。
タッチインターフェイスなので、指の大きさがかわる訳じゃないんで。
ただ、見えかたが稠密になることで、目の疲れかたが違う。
レティナディスプレイに対応したデータやプログラムなら、同じものを見ていても、綺麗さが違う。
以前なら小さいルビは解像度が足りてなくて元々ぼやけて読めないのを読もうとしてしまって、そこで疲れてしまう。
でも結構小さくても、ちゃんと表現しきれるのがレティナディスプレイ。それで読めるかどうかは、老眼とか色々と個人的な要因もあるんだけど。
表現しきれてないものを勝手に目が読もうとして疲れたりしない。
これっていうのは、ジワジワと影響してくると思う。
知人の野口さんが、青空文庫BLOGに記事を書いてたんで、リンク。
固定レイアウトの呪縛
こういうレティナディスプレイのもつ性質は iPhone 4がでた時からはっきりしていた。
iPhone 4を買った時、ああ、この高精細がiPadにあればなぁ、と思ったのだ。しかし同時に、あの画面サイズでそのDPIにしたらとんでもないことになる、と。常識的にどうなんだ、というような疑問もあった。
開発される液晶としては、かなり高精細なものは試作されていると聞いていた。しかし、ものすごい数がでる。しかもパネルのサイズがでかい。消費電力も大きそうなら、歩留まりも悪そう。高くついたら、普及に影響がでる。そう考えると、本当にありえるだろうか、と。
そうした考えを真正面から突破してきてくれた。
電子書籍界隈では、版面が固定されたレイアウトとリフローなレイアウトという大きな区分けが存在する。
紙の本は、当然版面固定だ。
厳密にいうと違うという反論もできるが、PDFも基本は版面は固定といっていい。
マンガなどの電子化の時は、本や原稿をスキャンして画像にしてページに表示するが、これも版面は固定。
XMDFや .book、EPUBなんかは、画像化して版面固定的に利用することもできるが、基本はリフローを指向してる。
分りやすいのはウェブページだ。リフロー指向のフォーマットは大体HTMLの影響を受けているので、やっぱりウェブページを想像するのが早い。
デバイスの表示能力に合せて、レイアウトが変化するリフローなシステムが、電子書籍には必要だと言われつづけていたように思う。
古い書籍を電子化する時、紙の版下のデータとはかなり質が違うリフローのフォーマットにすると、かなり労力がかかる。
それに対して、紙のデータを版下データからPDFにするのは、割と容易だ。
さらに、紙をスキャンして画像データにするなら、もっと容易だ。
でも版面固定のレイアウトだと、今迄の液晶や電子ペーパーでは解像度が劣る為に、どうしても見易さに障害がでていた。
また、iPhone 4でのレティナディスプレイはすばらしいと思うが、物理的な画面サイズがさすがに小さすぎる。A4クラスの自炊コンテンツを表示して読むのは、キビシかった。
これがリフローシステムへの、期待を上げていた部分も一部あったんじゃないか、と思う。
iPadにしてから、i文庫HDで青空文庫のテキストを表示したものを見た。これは、ある意味リフローフォーマットといっていい。
また、自炊した雑誌やムック、技術書や文庫本、新書を見てみた。
これは版面固定、それもスキャンしたコンテンツだ。
はっきりいって、衝撃的である。
いままでA4くらいのコンテンツをスキャンしたものは、単ページでみても正直きつかった。
2までのiPadで見開きなんて、とても読めたもんじゃない。
自分が自炊する時、300dpi程度でスキャンしていたのだが、この同じデータを新iPadで見ると、問題なく読める。
それも単ページどころか、A4見開きでも読めないことはない。この辺は元の組版やスキャン精度にもよると思うけれど。
色々とみてると、300dpiくらいでスキャンしてあれば、もう別世界のように自炊コンテンツの使い勝手が変ってしまうのだ。
そういえば300dpiってエポックメイキングな数字だなぁと思いだす。
アップルのLaserWriter II NTX-Jがでて、DTPの世界におおきな影響を与えた。私もNTX-J買ったなぁ、高かった。
あれが凄いのは、日本語PostScriptであって、また日本語のアウトラインフォントが装備されていたこと。そしてなにより、当時印刷と同等といわれた非常に高精細な出力である300dpiだったことだ。
新iPadのレティナは300dpiには届かない。iPhone 4/4S が330 dpiくらい。新iPadが264 dpiくらいらしい。でも、ようするにそういう水準なんだなぁと感慨深い。
新iPad
CPUはあまり2から比べて強化されていないらしい。
正直、自分は初代からの機種変更なので、今の所別世界。反応速度がかなり改善されている。
ただし、A4の雑誌を見開きで捲っていると、かなりまたされる時がある。
これがCPUに起因する計算力不足なのか、作業用のメモリが足りていないのか、正直分らない。
OSやアプリの今後の変更で改善できるとうれしいんだけど。
気になるのは、バッテリ容量がかなり増加されたのにバッテリの減りが早いように感じられること。
西川氏のコラムを見ると、推定として、25Whから42.5Whに相当に強化されているらしい。
しかし、実機を弄ってる感じだと倍以上の速度でバッテリ容量の値が減っているように感じる。
もともとiPadはかなり長時間使える感じなので、1日の持ち歩きに耐えないか、というとなんとも言えないが、最初減り方を見て、驚愕した。
どこが喰ってるか分らないが、ディスプレイはおおきいだろうな、と思ったので。
そして、冬なのに、ほんのりとiPadがあったかく感じる。
初代iPadではまず感じなかった。これも消費電力が増えていることを示唆しているので、正直不安。
夏はどうなるんだろうなぁ。
結構手が感じる温度って敏感だから。
そういう所を考えると、第三世代の新iPadっていうのは、バランスが取れた成功モデルといっていいのか、というのはすこし疑問がのこる。
ただし、現状では色々と不出来な所があっても、この高精細な環境を、これまでと大差ない価格帯で投入したっていうのは、偉業だと思う。
高く投入することは可能だけど、ハイエンドモデルだけという方法ではなく、新世代はすべて統一してこの解像度を投入し、価格は大体同じっていうのが、すごい。
ただ、まだ大きいし、重い。
重さとかそう簡単にはどうにもならないと思うけど、この高精細を維持して7インチクラスの画面サイズっていうのは結構要望があるような気はしてきた。
iPhoneだと流石に自炊コンテンツはサイズ的に辛いんだが、7インチなら、いけそう。
コンテンツ側の課題
ディスプレイの性能を生かしきるには、ラスター系のデータは従前の4倍サイズの画像データを用意する必要がある。
電子書籍で拡大にも耐えるようなデータを用意しようとおもったら、単ページいったいどのくらいの解像度のデータを用意したらいいのだろう。
そしてそういうコンテンツは1冊あたり、どのくらいのファイルサイズになるんだろう。
自分の自炊データは300dpiだが、当然判型にもよるが、1冊あたり多い本では400MBを越えるようなものもそこそこある。
これらを、配信し、デバイスに複数格納する。数冊や数十冊ならともかく、もっと沢山のものをデバイスに保持しつづけるのは、結構負担だろう。
ざっくりすぎるけど、1冊200MBとしても、10冊で2GBである。50冊なら10GBだ。
単面データを処理する端末側のCPUやメモリという意味でも、コストには優しくないだろう。
配信の経路としての通信環境というのも大きな問題だ。昨今のスマフォ化で通信事業者はかなり厳しい状態におかれている。自業自得な気もすこしするが…
どちらにしろ、動画やこういうスキャンコンテンツの増加は、通信環境には相当にダメージだろうな、と思う。普及していけば。
また自炊はいいのだが、販売コンテンツと考えると、別の障害もある。
高精細なデータというのは、それだけで嫌がられる。
たとえば動画でいうとアナログだったころはコピーすれば劣化する、デジタルになったら劣化しない。さらにデジタルでも画素数がすくなければコピーされてもまだ我慢できるが、高精細なデータをそのまま盗られるのは勘弁ならない、という考えはある。
300とか600dpiでマスターデータと同質というのは寂しい気もするが、出版デジタル機構なんかは、マスターのスキャンデータを600dpiで考えているそうだ。
となると、例えば拡大も考慮して600dpiクラスのデータを配信データに使おうと考えたとする。そうしたら、劣化させたデータではなく、マスターデータ品質のものが配信されるということになる。
こういうの、権利元は嫌がりそうだなぁと思う。
レティナグレードの端末っていうのは、現時点である種の人には福音だといっていい。
自分自身、もう版面固定でいいじゃん、という悪魔の声に負けた感もなくもない…
しかし、付随して色々と問題もあるなぁと思いしらされる感もある。
どちらにしても、世間ではこれまでと違って革新性のかけらもないなんていう人もいるみたいだけど、やっぱり色んな意味でエポックメイキングなデバイスだなぁと実感してる今日この頃。
電子書籍のミライはどっちだ
前段で、もう版面固定でいいじゃないか、という悪魔の声に負けそうになったと書いた。
正直、過去の紙で出版されたものは、もうそれでいいんじゃないか、という気はする。すごく売れ筋というか、手をかける価値があるものは別として、過去に出版されたものは、最低限スキャンしてそれが入手可能なら、それでいい。
電子データが残ってなかったり、とても整理できていないようなものを、リフローコンテンツにするのはとても金が掛る。
正直、そんなお金はモッタイナイと思う。それよりも、コンテンツそのものに、まずはアクセスできるという事自体が重要。
そういう意味では、出版デジタル機構のアーカイブ方針は割としっくりくる。
問題はもっと別にある気がする。孤児著作物というような問題もあるけど、もっと自炊も含め、綺麗に権利処理できるといいのにな… 昨今の自炊を巡る状況は、本当にみていて辛い。
で、フォーマットに話を戻す。やっぱり、今後はリフローだとは思います。
ただし、リフローで既存の版面固定の出版物のような細かい指定ができるようになるのは、そんなに近い未来ではないんじゃないかなぁと。
そういう意味では、組版に拘るコンテンツは、まだ当面は版面固定でいきそう。
ただ、Kindleなんかを見てると、そんな細かい指定が(すくなくとも現時点では)できてると思えない。でも、すぐ買ってよみはじめられたり、文字サイズを変更できたり(歳をとると結構重要)、そういう利便性はやっぱり捨て難い。
今後、どんどんリフローで組版のノウハウや技術は向上していくと思うけど、そういう所に拘りすぎず、便利になっていくといいなぁと、新iPadをいじりながら色々と妄想してた春分の日だった。
まあ本っていっても、マンガ、文芸書、実用書、技術書、雑誌。他にも色々とあるけど、内容によって求められるものってかなり違うしね。
こうやって考えると、ありきたりの答になっちゃう訳だけど、新iPadを見たことがない人は、一度見せてもらったり、見にいってみる価値はあるんじゃないか、と思ってます